こんにちは。
のり(8歳・女の子)たけ(5歳・男の子)の母、
noritakeです。


男の子は4歳の時に突然、脳腫瘍という小児がんになってしまいました。
▶前回までのあらすじはコチラ

今回は、一時退院時の帰路のお話しです。

 

おウチに帰ろう。

緊急手術から1ヶ月が経ち、念願の一時退院許可が出ました。
男の子はもちろん、家族みんなが待ちに待った日です。
前日から退院の準備は完璧。
「あと一晩眠れば、明日にはお姉ちゃんに会える!」と大喜びで、男の子は嬉しくてなかなか眠れません。

 

当日は最終検査をクリアして、病院から駅までは友人に送ってもらいご機嫌です。
でもどうしたことか、駅に着いてからの男の子は元気がありません。
ひどい人混みや騒音で、とても不安な様子です。
片目が見えなくなった男の子は、耳が敏感になりました。
だからお母さんは迷子にならないよう、男の子を大きなスーツケースの上に乗せてホームに行きました。そして、あとは新幹線に乗るだけと一安心した時です。

 

突然、男の子がまさかの「オシッコ…」
母「もう少しガマンできる?」
男の子「ムリ、もうガマンできない…」
え〜、さっき病院でしたばかりなのに⁈
こんな時に限って…とお母さんは困ってしまいました。

そう、男の子は脳の欠損により、自分ではオシッコのコントロールができない尿崩症になっていたのです。薬が効かないと一日に何十回もオシッコし、喉が渇いて小さな体に10リットル以上の水分を摂ってしまいます。

 

一番近いトイレでも、男の子と大きなスーツケースを持って往復すると5分では戻れない、お漏らしするか、新幹線を諦めるか…と悩んでいた時です。
近くの人が「どうしました?」と声をかけてくれたのです。
男の子のリュックに付けておいた、ヘルプマークに気づいて下さったのです。

この見ず知らずの方がスーツケースを預かり「戻られるまで駅員に頼んでみます」と言って下さったのです。おかげで大急ぎでトイレにも新幹線にも間に合い、無事富山に帰って来ることができました。

普段ならできて当たり前のことも出来なくなった喪失感と同時に、助けてくれる人がいる温かさに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

「取説」代わりのヘルプマーク

今回は「ヘルプマーク」についてもお話したいと思います。
 

私は子どもの初めての入院時に、東京の友人から教えて貰いました。
富山県は車社会であまり周知されていませんが、東京ではそれなりの知名度があるそうです。

 

帰宅後に調べてみると「ヘルプマーク」は全国で配布されており、地元の市役所でも簡単に頂くことができました。最近ではACGのコマーシャルでもやっていますね。

 

息子は外見上、なんのハンデも感じられません。
それとは裏腹に、薬がなければオシッコのコントロールもできない他、左目は全く見えず右目も少ししか見えていません。メガネでは矯正できないのでかけていません。
また免疫がないため不調時は、電池が切れたロボットのようにパタリと倒れて動けなくなります。そうなると迅速かつ的確な対処が必要です。

 

そんな時、一目で周囲の理解を得る方法の一つがヘルプマーク
ヘルプマークの裏には誰が見てもわかるように、どんな助けが必要か書く欄があります。
息子の場合は幼いのでヘルプカードも併用し、保護者の連絡先や受診先、飲んでる薬や緊急時の対処法などを書いています。

 

あとはハンデっ子のkanon.さんが主催されているイベントで作った、個々に合わせたハンデっ子用のロゼットも着けています。これは説明しなくても一目で伝わる上、とっても可愛くオシャレでママの愛情たっぷりです。
▶ロゼットワークショップの様子はこちら

他にも障害に関するマークはたくさんあります。
そんな助けを必要とするマークを知る人が増えて、ハンデを見守ったり声をかけたりして下さる人が増えれば、助かる人は確実に増えます。どうぞ宜しくお願いします。

 

《追記》
実は先日の定期受診の際、病院の待合室の隅で突然倒れた方がいらっしゃいました。
すぐに駆け寄って声をかけましたが、全く意識がありません。でも、私は何をどうしていいのか全くわからず、助けを呼ぶにも動揺しすぐには大きな声が出ませんでした。
幸い院内だったので、すぐに看護師さんが来てくれましたが、

もし違う場所だったら…
もし息子が一人で倒れたら…と思うと恐ろしくて仕方ありませんでした。

みんなが助け合える社会になりますように…。

 

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