
不安と孤独に包まれた産後の日々
出産予定日を12日も過ぎて、ようやく生まれてきた我が子。
お腹の中でも元気いっぱいだったその子は、帝王切開での出産となり、3,995gという立派な体で産声をあげてくれました。
「やっと会えた」
――感動で胸がいっぱいになる一方で、新生児聴覚検査で「リファー(要再検)です」と告げられたとき、私は思わず「やっぱり」と口にしてしまいました。
夫の家系には難聴の人が多く、妊娠中から「もしかしたら」という思いはありました
夫自身も軽度の難聴がありますが、「生活には困っていないから大丈夫」と言われ、私もどこかで安心していました。しかし、現実に医師から難聴の可能性を告げられると、不安は一気に押し寄せてきました。
「この子はちゃんと話せるようになるの?」
「お友達とうまく遊べるの?」
――頭の中には、次々と答えのない疑問が渦巻き、初めての育児というだけでも不安なのに、さらに大きな壁が目の前に現れたようでした。
加えてコロナ禍。両親学級もなく、友人や地域のつながりも作れない。相談できる人がいない孤独の中、初めての子育てがスタートしました。
補聴器と向き合い始めた日々

「この子に今できることをやろう」
――気持ちを奮い立たせて、生後半年で補聴器を装着し、療育にも通い始めました。
初めて補聴器をつけた日のことは今でも忘れられません。まだ小さな耳に器具を装着するのは心配で、「本当にこれでいいのかな?」と迷いもありました。
それでも少しずつ言葉が増え、「ママ」「パパ」「ぶーぶー」と話し始めたときの感動は、何にも代えがたいものでした。
単語が文章になり、会話ができるようになると、「今日こんなこと言ってたよ」と夫に話すのが毎日の楽しみになりました。
あんなに不安だった日々が、少しずつ希望に変わっていくのを感じました。
弟ができてお兄ちゃんに成長

引っ込み思案で、新しい場所や人が苦手だった息子。
そんな息子が2歳の時に弟が生まれ、「お兄ちゃん」としての一面を見せるようになりました。
弟が泣けばおもちゃを持ってきてあやしたり、おむつ替えを覗き込んだり、小さな手で弟の頭をなでてあげたり。
その姿に、私の方が心を癒され、励まされました。
運動会で見えた成長
――涙が出るほどの喜び

そして、忘れられないのが息子が3歳のときの運動会です。
初めての大きな行事に、私たち親の方が緊張していました。
引っ込み思案な息子がどうなるだろうと心配していたのに、当日は堂々とした姿で、だれよりも元気に走り、踊っていました。
泣いてしまう子もいる中で、笑顔で演目をこなす息子の姿に、私は思わず涙があふれました。
ほかのママたちからも「◯◯くん、上手だったね」と声をかけてもらい、「ここまで頑張ってきてよかった」と心から思えた瞬間でした。
補聴器をつけていることを忘れるくらい自然に友達と関わる姿に、胸が熱くなりました。
言葉が生まれるたびに、
幸せが広がっていく

子育ては決して楽な道ではありません。
特に “見えにくいハンデ” があると、周囲との差に悩み、何が正解かも分からず、不安になることばかりです。
でも、だからこそ、わが子の小さな一歩が、誰よりも大きな喜びになります。
息子が「だいすき」と言葉で気持ちを伝えてくれるたびに、私は何度も救われています
兄弟で手をつないで笑い合い、家の中に響く子どもたちの声に、心が満たされる日々。
生まれてきてくれて、本当にありがとう。
あなたの成長が、私たち家族の幸せそのものです。
「子どものいる暮らしの幸せをともに」シリーズは、ママスキーが主催する大型ファミリーイベント「ママスキーパーティ」の10回目の開催を記念して公開しております。
子育てに楽なことはほとんどないけれど、これまで経験したことのないような幸せと愛を私たちにもたらせてくれます。
子どものいる暮らしの幸せを、みんなで共有することで、子育てのイメージそのものがポジティブでより良いものに繋がることを願っています。